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暴走する集団ROCKERS

 50年代の中期から60年代にかけてイギリスにロックンローラーでもないテディボーイでもないROCKERSというグループがあった。 ブラックのライダースジャケットに白いスカーフを巻いて、夜な夜なカフェに来てはバイク自慢をスピード比べに熱中している若者を コーヒーバーカウボーイズ、タンナップボーイズとも呼んでいた。(タン(TON)は英語のスラングで時速100マイル以上で走る若者達)


 ROCKERS達は、当時の世界最高峰を誇っていた英国車BSAやトライアンフ、NORTONといったバイクにまたがり、街を縦横無尽に暴走していた。

特に有名なACE CAF?はロンドンで唯一24時間カフェということで、もともとトラック、キャブ(タクシー)の運転手が利用していたのだが、ロッカーズ達の溜まり場となった。そのカフェの前のノース・サーキュラー・ロードは彼らにとって格好のレース場となり、夜な夜な草レースが行われていた。 レースは当時有名だった、ジュークボックスレースという方式が主流だったといわれている。

ジュークボックスレースとは?

ジュークボックスレースは、ジュークボックスにコインをいれて。それと同時に表にかけ出てバイクにエンジンをかけカフェ前のノース・サーキュラー・ロードを通り。南に下った所にある、 ローターリーを回って、どれだけ早く曲が終わる前に帰ってくるかを競った有名なレースである。 このレースによって命を落としたロッカーズも少なくなく、当時社会問題にもなった。

59クラブの設立まで

59クラブワッペン  60年代初頭、ひとりの聖職者がその不良達(ROCKERS)の溜まり場といわれるエースカフェのドアを開いた。 その場には似つかわしくなく、もちろん歓迎されない。 そんな場違いな彼にロッカーズ達は邪魔者扱いするのだが、トライアンフを愛車とし、神父服の上にルイスレザーのブロンクスのジャケットをまとう風変わりな聖職者が若者達の中に溶け込むには時間はかからなかった。 次第に彼は若者達の味方となり、よき相談相手となり信頼を受け、若者達からSWINGIGN VICER(いかした神父)と呼ばれていた。
彼こそが英国教会の神父であり、59クラブ(FIFITY NINE CLUB)の創始者であるファーザー・ビル・シャーゴールドである。
1959年にファーザー・ビルは、モーターサイクリストのためにユースクラブを発足。当時のバイカーたちはイギリス国内はもちろんヨーロッパ中のユースクラブヨーロッパ中のユースクラブを回りながら旅をしていた。 自らもバイクマニアであった彼は、若者達にその暖かい場所と行き場をロンドンの東、ハックニーにそのユースクラブを創立した。 そして、ロッカーズ達の集まるカフェに顔を出し、交流を深め、当時不良のレッテルを貼られていた彼らにバイクを通して青少年の教育、更生を考え1962年5月にエースカフェとビージー・ビー・カフェにおいて、 彼らのためにライブ、ダンスパーティーそしてチャーチ・サービスを含めイベントを行ったりし、ロッカーズへの社会的バッシングを取り去るべく、ファーザー・ビルは新聞社や雑誌社に手紙を送り、訴え続け理解と教育に時間と情熱を注いだ。そしてその年の10月にモーターサイクル・セクション(59クラブ)を発足し当時、世間より必要とされなかった若者達、ロッカーズ達の為に彼の教会のドアを開く。
これらはニュースペーパーやTVによって瞬く間にイギリスに知れ渡り、多数のメンバーを獲得した。当時は世界一のクラブとなり、59のワッペンをつけることがロッカーズ達の最高のステータスとなった。